最近話題の4,630万円の話を聞いて、配達のバイトでやってしまったお金額絡みの失敗を思い出しました。流石にこんな高額じゃないですが金銭絡みのうっかりミスと言う点では同じでした。
昔、配達のバイトやってまして、年末に軽のワンボックスで一人だ配達する仕事でした。仕事は超忙しかったですが一人なので気楽で良かったです。
そんなある日、代引きの荷物で本来の料金より安い金額を受け取ると言うミスをしてしまいました。原因は重ねていた送り状を間違えると言う うっかりミスでした。
夜帰社して送り状を整理した時に気がつき、慌てて連絡したら幸い快く本来の料金を支払うよと言ってくれました。その時はもう夜だったので明日行くと言う事も可能でした。ですがその時、電撃的に身体をアラート、不安、嫌な予感、警戒警報が駆け巡った気がして、今からすぐに行きますと伝え、すぐに回収に向かい無事代金を受け取れました。
トラブルは無事解決したので今となっては想像するしか無いですが、もし対応を翌日に伸ばしていたらどうなっていたでしょう?
人の気持ちは移ろい易いもの。
もし時間が経ち冷静になったら?
もし他者が話を聞いて横槍を入れたらどうか?
もし急にお金が必要になったらどうか?
そうなれば自己中心的な論理がムクムクと沸き起こり
「ミスしたのはそのバイトが悪いんだからこっちがわざわざ配慮する必要なんぞ無い」
このような気持ちになりはしないでしょうか?
その人がそんな悪い発想はしないだろうと鷹を括れるでしょうか?
・・・確かにもし支払いを拒否されたら争う事も出来るでしょう
でもその為の労力は少なくは無いでしょう・・・。
最終的に何かメリットがあるとは考え難いです。
これ以降伝票は愚直に確認する習慣づけをしました。今でも伝票は可能な限り確認します。今は配達の機会は無いので受け取りの時にやって嫌がられますが・・。
これは些細なよくあるトラブルでしたが4,630万円の事件と本質は似ていて、一歩間違えば実際に似た展開になる可能性はあったと考えます。
私は言葉や理論ではなかなか学びにくい愚鈍な性格なので、このような危機管理的な案件を実際に経験出来たのは良かったと思っています。
責任感の有る者が失敗を恐れる事は自然で大事な事だと思います。
でも失敗を悪戯に恐れ、感情的に忌避すればいつかまた同じ失敗をするか、恐怖に身が竦むかもしれません。
可能な限りトラブルの分析、反省をする事、
余計な要素が関わる前に、火が小さなうちに決着をつける事、
これが日々少しづつ行える正しい危険管理の道だろうと考えます。
この頃は桃井タロウのように働いていたなぁ・・